思慕の鏡像【序-2】


 少年たちを迎えた儀式の場、地竜の丘は、厳粛な空気に包まれていた。
 さしもの少年二人も表情を引き締め、品良く歩調を緩める。
 俺の、覚醒(めざめ)の儀式が始まるのだ。あらためて緊張を覚え、アイルウィンはいささか落ち着きのない手で、払うように礼服の裾を正した。
 アイルウィンは十八のなかば。彼は「それなりに経験を積んだ」と早くも一人前を気取っているが、ディザードの騎士となって、一年にも満たない。まだ新米に毛が生えたような若輩である。ふと、アスティラークが髪をおさえつけたのが視界の端に見えただけで、俺の髪はどんなふうに染まるのだろうかと、アイルウィンは漠然と落ち着かない気分になった。
 もうすぐ、俺は竜騎士になれるのだ。
 いま、アイルウィンの胸に、若気に逸った青臭い自負だけが満ちていた。年少のアスティラークにだけは負けまいと、ことさら子供じみた意地が湧き上がる。
「どうしたの?」
 アスティラークが振り返った。
「もぞもぞしたモン着てるからな。ケツが落ちつかねえ」
 かゆくもないのに尻を掻き、アイルウィンは毒づいた。
 アイルウィンがディザードの騎士となった同じ時期にアスティラークは、とんとん拍子に――血筋の尊厳ゆえに、従卒の立場も経験せず――竜騎士の叙任を受けた。
 アスティラークは、このあいだ十六になったばかり。
 彼の目をもってしても未熟な子供が、自分よりも上の階級にあり、しかも華やかな戦果をあげているのだ。竜の力も持たず、どうにも裏方としての立場を余儀なくされる己の在り方を、歯がゆく思ったものだった。その怒りが、決してアスティラークへと向けられたことがないのは、彼の克己心が強い気性ゆえである。
 そのアスティラークが、誇らしげに竜をつれている。俺に先んじて。さばさばした性根のアイルウィンとて、複雑な思いを抱かざるをえない。
 優雅に大空を舞うことしか知らぬお前に、地を這うものの気持ちはわかるまい。あのときばかりは、努力だけではどうにもならない溝を、ひいてはアスティラークが、その越えられない溝の向こうにある存在であることを、まざまざと見せつけられた気がしていた――いや、本人にそんなつもりはなかった。むしろ、アイツが血を吐くような努力をして、周囲の期待に応えようとしたのを、俺はこの目で見たじゃないか。
 己の妬みと、思い上がりが疎ましい。アイルウィンはかぶりを振った。
 そもそも竜の朋友に選ばれることは、それこそ竜たちの気まぐれ、運命と呼ぶのが相応しい導きによるものなのだ。それを自分の意志ひとつで、どうにかできると思うこと自体がおこがましい。
 みゃあ、と猫が鳴くような声がする。
「ウィード」
 アスティラークが呼んだのは、彼の朋友たる竜だった。こいつが現れたのが、気分が落ち着いた今の状態でよかったと、アイルウィンは安堵する。
 どう見ても体とは不釣合いに小さな羽根をばたつかせて、ウィードは丸っこい体を揺すって走ってきた。デフォルメしたトカゲと形容するしかない体躯に、玩具のような蝙蝠の羽根がくっついている。ぬいぐるみのように愛らしい姿は、まだ赤ん坊のにおいがした。
 竜の姿は千差万別で、朋友たる竜騎士の思念を鋳型にして象られる、象徴の一種だとも言われている。童話にでも出てきそうな典型的なイメージを絵にしたような竜の姿は、アスティラークの型にはまった思考ルーチンのあらわれだろう。こんなヤツに、いちいち張り合うのも馬鹿らしいかな。アイルウィンは苦し紛れに自嘲した。
 丘に終結した者たちの肩にとまり、竜たちはそれぞれの朋友に、ひっそりと寄り添っていた。ウィードのようにトカゲ型の個体が多数だが、獣のかたちをしたもの、人型の姿をしたもの、はてはうさんくさい幾何学模様を連ねたような正体不明のオブジェまで、様々な姿の竜たちがいる。
 今は、俺の竜の姿がどんなものになるか、考えよう。
 それから、ついでに儀式のことを考えておこうか。アイルウィンは、彼なりに真剣に自らを戒めた。
 丘の頂では、国の守りが許す限りの竜の朋友たちが集まっていた。地竜の丘を清める歌をうたっている。
「がんばってね」
 最も低い階位しか持たないアスティラークが一番下座、輪の外に居残る。
「ああ」
 アイルウィンはうなずいて、まっすぐに輪の中心へと進み出た。草を蹴散らすような強い歩調もそのままである。
 俺は、もうすぐ竜騎士になれる。
 彼は決意する――俺は俺のやり方で、戦ってやろう。
 誰もが、その瞬間を待っているのだから。
 輪の内側、丘の上へと進むごとに、居並ぶ朋友たちの顔ぶれにも貫禄が漂いはじめる。
 丘のいちばん高いところで、地竜の朋友にして最年長の老人が待っていた。その背後には、他の竜騎士たちと比べても、ひときわ重厚な鎧に、きらびやかな礼装をまといつかせた騎士たちが居並んでいる。
「アイルウィン・センダーレイス、参上しました」
 いくぶん固い動作でひざまずいたアイルウィンに、長はゆったりとした動作でうなずいた。
「儀式を始めよう。新たなる朋友、アイルウィンよ」
 丘の麓で、アスティラークはまんじりともせずに儀式の終わりを待っていた。
「大丈夫かな。アイルウィン」
 歌に唱和しない彼の顔をのぞきこんで、子竜ウィードがしきりと不安げに鳴いた。かたわらにいた若い竜騎士――といっても、アスティラークよりは四つ、五つくらいは年上の女性だ――とその相棒である風竜が、そろって怪訝そうにこちらを見る。
「ねえ、その赤ちゃん竜……様子がおかしいわよ」
 歌をも止めて、女性が言う。彼らを置き去りにして、歌は一層、高揚した空気を帯びて絶頂へとのぼりつめていくところだ。
「地面に寝かせて」
「え?」
 言い終わらぬうちに、ウィードの体から火花が散った。むきだしの腕が焦げそうな熱さに、アスティラークが低くうめいた。甲高い声を上げて、ウィードが鳴く。
「脱皮だわ。寝かせて、早く」
 ほとんど朋友の手から奪い取る勢いで、彼女はウィードを抱き取った。
「生育異常だわ」
 ゆっくりと草地に寝かせると、ウィードは手足に力が入らないらしく、ぐったりと横たわった。
「さっきまで、何もなかったのに」
 ぱんぱんと弾けるような音が断続的に続く。音のたびに小さな竜の体がはねて、アスティラークはいたたまれない心地でいた。
「あなた、この子の」
 この子の騎士でしょうと問い掛ける女の目が、少年には責めているようにも見えた。
 うなずいたアスティラークの腕に、火傷が赤くふくれあがりはじめている。
「あなたのせいじゃないわ」
 女の声は優しかったが、アスティラークにとっては何の慰めにもならなかった。
 そのころになると、まわりにいた他の竜騎士たちも、しきりとこちらを気にするようになっていた。他の何人かも歌を止めて、ウィードの側にかがんでいる。
「まさか……儀式のせいじゃないか?」
 誰かが、そんなことを言った。馬鹿なことを、と周囲の竜騎士たちが一斉に彼をにらみつけようとして、その表情が曇る。否定する材料がない。
 彼らを遠巻きにして、竜の朋友たちが謡ううたは非常にも華やかに続く。これ以上、歌い手が儀式を放棄したら、丘のいただきにいる新たな朋友の《目覚め》に障りが生じかねないからだ。
 ウィードがひときわ甲高く鳴いた。
 届かぬと知りながら、ちいさな手をさしのべて、未熟な身体を震わせながら、彼女は誰かを呼んでいる。
 アスティラークの心に、己の半身ともいえる朋友の慟哭が、強く強く、流れ込んできた。彼女の痛み、想い、畏れ……あらゆるものが、からだの内奥まで響き渡る。
「だめだよ!」
 彼は己の半身たる愛し子を抱きしめた。
「だめだよ」
 子竜の鳴く声は、ざわめきはじめた草原の声にかき消される。
 アスティラークは走り出した。
「アイルウィン!」
 今ほど竜騎士として生まれついた感性を、呪わしく思ったことはない。彼は一瞬にして、朋友たる竜の身体に、何が起きたのかを知ってしまった。
 こんなことをしても、どうにもならない――アイルウィンを制止するには、もうすべてが遅すぎる。そのことを痛いほど悟ってしまいながら、アスティラークは走る足をとめられなかった。
「駄目だ、アイルウィン。やめろ!」
 ウィードの異変、この儀式にこそ起因する。
「こんなこと、やめろ――死んでしまうよ!」
 おぞましい予感が背筋を粟立たせる。これから起こる忌まわしい出来事が、ありありと目に浮かぶ。この儀式が終わったとき、大切な友人であるアイルウィンの身に起きることも含めて、アスティラークはすべてを見てしまった。
 丘の頂上で、アイルウィンは誇らしげに、竜のことばを謡っていた。
「そのときがきたら」
 地の竜にささげることばは、どこまでもあたたかい。同時にどこか、重々しい威厳を備えている。
「あの丘に、ともに還ろう」
 居並んだ地の朋友たちが、それに唱和する。
「命宿す地のあたたかな腕に抱かれて、ともに眠ろう」
 アスティラークは愕然とした。
 春のはじめに降る雨のように、温かいのに、どこかうすら寒い感触がすることば。そのことばは――
「何故!?」
 何故、いまこの場所で紡がれるのが、よりにもよって葬送のことばでなければならないのか。
 新しい竜のいのちが、生まれようとしているのに――アイルウィンの目の前に、巨大な力が現れるのが感じられるのに。
「やめさせろ、こんなこと!」
 周りに居た竜騎士たちに引きずり戻されながら、アスティラークは必死にもがいた。
 生まれ出でようとするいのちに、葬送の歌を捧げねばならないなんて。
 何故。何故、こんな幼い子らに、悲しい災いが起きねばならないのですか。
 幼い竜の精神がきしみをあげ、悲痛な叫びを響かせた。
「ウィード」
 アスティラークは、彼の腕では抱えきれないほどにふくれあがった竜の首にすがりついた。そばにいた朋友たちが、いたたまれなくなって顔をそむけ、あるいは歯を食いしばる。
 先ほど葬送された竜の力は、すべての竜が従う《循環》の法則に従うならば、新たに目覚める竜に宿り、新たな守りの礎となるはずなのに。
 それなのに、その力は本来生まれ出る赤子とは、別の個体に注がれてしまった。その赤子を除いてもっとも小さく、もっともか弱く、幼い――それゆえに、もっとも無垢なる魂を持つ竜に。
 アスティラークが悲鳴をあげた。
 小さなウィードの体が爆発的にふくれあがり、その未熟な精神に不釣合いな成体へと変貌する。
 絶対にありえぬことだった。
 原因はわからない、だが――
 すべての竜たちが、あらゆる朋友たちは、理解した。それが意味するのが、破滅――世界律が崩壊する前兆であることを。
 もう、制止する大人たちの手はない。アスティラークはもう一度立ち上がり、悄然と丘の頂きを目指していた。重い足をひきずって、ウィードがそれに続く。
「何故……?」
 新たに注ぎこまれた竜の力が、彼のことばに途方もない力を与えていた。
 喉から絞り出した嘆きは、あまりにも深く、草原の風を震わせた。それだけで、淀んだ霧が吹き飛ばされていく。
「何故、こんなことが起きねばならなかったの」
 虚ろな空へと、涼やかな風が広がる。風を呼ぶうたは、本来ならしかるべき手順を踏んで、竜のことばを介さねば機能しない。それなのに、今はかすかに彼の息が震えるだけで、狂ったような風が荒れ狂う。
「アスティラーク」
 新たな竜の命を授かり、その朋友となるはずだった少年は、虚ろな目でアスティラークを見ていた。枯れ枝を無造作に突き刺して、竜のかたちを模したように見える何かが、ひっそりと彼の膝に眠っている。
「それは……」
 アスティラークは瞠目した。
「俺の竜だよ」
 老人のようにしわがれた声で、少年はうめいた。
「朋友は、死んでしまった」
 アイルウィンの褐色の肌は、あの一瞬で、がさがさにかさついていた。まだ染め粉ののっていない銀髪も、枯れ草のようにもつれていた。あれほど溌剌と輝いていた瞳が、濁っていく。
「その朋友の力を、俺の力を、お前たちに託したからだ」
 彼は何の感情もこもらぬ目でこちらを見ていた。曇った鏡のような瞳に、ウィードの姿が映りこんだ。瑞々しい命の色をした風竜の鱗が輝いている。
「どうして!」
 アスティラークは、たまらずアイルウィンに駆け寄った。
「お前に、俺の力を託したいんだよ」
 アイルウィンは、ひびわれたくちびるで喘いでいた。
「これでいいんだよ、多分な……どうせ、この力は、俺の竜に宿ることはなかった。放っていれば、歪みを招いてしまう力だが、それを、役立てることができるのなら――」
「どういうことだよ。わからないよ」
「すまねえなあ」
「なんで謝るんだよ」
 アスティラークは、怒っているようだった。
「すまねえ――」
 アイルウィンは、とうとう友の問いに答えなかった。
 こんなに強い風が吹いているのに、竜の朋友たちが組んだ円陣の中だけが、いまだ淀んだ空気に押しつぶされそうだ。この重い空気を、吹き飛ばしてしまいたいのに。
 大人の背丈よりも、大きな図体をさらしたウィードが、大儀そうに首を持ち上げて、アスティラークの頬に頭をすり寄せる。その瞳から、ひとつぶの涙がこぼれていた。
 倒れ伏したアイルウィンは、いとおしげに己の朋友を抱きしめていた。
「アイルウィン」
 その呼び名に答える少年は、もういない。アスティラークは、うなだれて地に両手をついた。
「なんで謝るんだよ。答えろよ、アイルウィン」
 奥歯をぎりぎりとかみ締めても、あとからあとから涙が溢れてくる。
 重苦しい沈黙の合間に、いくつも、いくつも嗚咽が重なっていた。丘に集った竜騎士たちは、みな涙を流していた。
 泣いても、失われた命は還ってこない。
 そんなことはわかりきっているのに、それでも止まらない涙は、一体どこへ流れていくのだろう。
 彼らはもはや、謡うことばも持ち合わせていなかった。風に髪を掻き乱されながら、アスティラークはじっとうずくまっていた。