思慕の鏡像【第二段-3】

 同時刻、ウィルフレス公国。
「逃げろ、急げ!」
 背に翼をもつ人々が、まるで雲霞のように飛び立つ。
 島の各地で起こる異常気象からは被害をまぬがれたものの、この老大国もまた、かつてない脅威にさらされていた。
「墜落するぞ!」
 誰ともなく叫んでいる。人々はひたすら安全な場所をめざした。魔法を使えるものは翼をばたつかせ、不得手なものは地面を蹴りつけて飛び跳ねるように走る。
 奇怪な光景だった。ウィルフレス人は、自分の翼で空を飛ぶことはしない。彼らの体型は、翼に対して胴体の比重が重すぎる。走りながら翼をばたつかせる動作は、避難民たちが極度の混乱状態にあることを意味している。
 避難民たちの頭上には、視界いっぱいを覆い尽くすほどの巨大な岩盤が迫っていた。
 いや、いたるところに空に浮かぶための機関を埋めこんだ、巨大建造物と称するほうが適切だろうか。それが黒煙をふきあげながら、ゆっくり、しかし着実に山の斜面へと向かって降下してきているのだった。
 周辺の村落はとっくに無人となっていた。
 件の岩盤は、島の人々からただ《空中都市》とだけ呼ばれてきた。かつては島の支配者が住まう居城であり、超古代の負の遺産。精霊島の人々にとっては、空中都市など単なる違法建築物にすぎない。
 さいわいにも、人々の避難はきわめて迅速におこなわれた。ほかのどんな種族よりも体格的・身体能力的にもすぐれた素地をもったウィルフレス人の身体能力は、天敵であったメンディス人に、「殺しても死なない種族」と言わしめたほど圧倒的だ。
「見ろ、もうあんなところにまで」
 避難した住人たちは、山の斜面を伝って岩盤の脅威が及ばない高所へと上り、ざわめきながら山麓を見下ろしている。空中都市は人々の眼前をかすめて、ほぼ自由落下に近い状態で高度を下げ続けていた。
「やれやれ」
 岩盤のもたらす被害が及ばないところまで来て人心地ついたのか、避難民のひとりが悪態をついていた。
「メンディスとの戦役のときですら、わしゃこんなに必死に走ったことはなかったぞ」
 都市の制御機構が格納されているはずの、岩盤の内部からは、得体の知れない黒煙がもうもうと吹き上がっていた。
「それにしても、ひどい臭いだ」
 もはや何のコントロールもされていないのか、巨大な岩盤はふらつき、時折山肌をえぐりながら地面へと近づいてくる。。
 人々は、いまは互いに身を寄せ合い、ただ一点を見つめた。どの顔も恐怖と緊張でこわばっている。
 ほどなくして、打ち捨てられた村落に、岩盤から滑落した部品らしき破片が降り注ぎはじめた。パラパラという小さな音が人々の耳にも聞こえる大きさになり、やがて轟音となっていく。
 直後、巨大な岩の塊が、無人となった村落の中心部に突き刺さった。衝撃で内部の機関が爆発したのか、そこかしこから炎が噴き上がる。
 地響きが起こり、爆音が響き渡るなか、翼もつ住人々は遠巻きに、空中都市の末路を見守っていた。
「これは、この世の終わりを告げる災いなのか?」
 恐れおののく者。
「これからどうすればいいんだ?」
「またあんなものが降ってくるんだろうか? どこへ逃げれば安全なんだ?」
 悲嘆に暮れる者。
「墜落した空中都市の人たちはどうなったんだ? さすがに、救助が必要じゃないか?」
 すこしでも建設的な発言をしようと試みる者。
「救助なんて必要あるものか。いい気味じゃないか!」
 かと思えば、罵声を吐く者もいる。
「そうだ。自分たちの住まいをどこに移すかのほうが大事だ」
「空中都市には大天使様がおわすんだ。助けてもらいたいのは私たちのほうだよ」
 畏れなのか皮肉なのか判別つかないことを言い、座り込んでしまう者もいた。
 これから、どうすればいいのか――
 それこそが避難民たちに共通した思いだった。
 彼らは険しい山並みに寄り添って、自分たちの住まいがあった場所を見下ろした。かつての島の支配者だった者たちが住まう宮殿が、急峻な斜面に突き刺さるようにして動きを止めている。
 下敷きになった村落の建物はもはや見る影もなく破砕されていた。
「おうちが壊れちゃったよ」
 子供たちの甲高い泣き声を顧みる者もない。大人たちは、ただ足元に広がる惨状を見下ろすことしかできない。
 近寄ることも許されず、ずっと見上げるばかりだった空中都市――ときに人々の空想力をかきたてていた巨大な岩盤は、今はもう厄介者でしかなかった。

 都市の残骸は夜通し燃え続け、翌日派遣されたウィルフレス聖騎士団の手によってようやく炎が消し止められた。
「ご協力感謝します、司祭様」
 まだそこかしこで煙があがっている空中都市の残骸の内部では、いかめしい鎧を身に着けた騎士の一団が、数人の司祭だけをともなって歩いていた。
「施しを求める避難民を教会に収容してくださらなければ、今頃は撤去作業どころではありませんでしたよ」
 騎士のぞんざいな物言いに、老齢の司祭が黙って、うなだれるように頭を下げる。高い功徳を積んだであろう面差しに、怯えの色が見てとれた。
 先頭を歩く騎士が、涼しげな笑い声をあげる。
「これよりしばらく手数をかけますが、よろしく頼みますよ」
「聖都ラングリアからお越しになった騎士様の命とあらば、何なりと」
「そう堅くならずに」
 騎士は口先ではそう言いながらも、表情には「愉快でたまらぬ」といった風情の優越感を漂わせている。司祭は怯えた表情を隠さぬまま、再びうつむいた。
「ルーラント団長様は巫女レティシア様の命によりおいでになった神聖騎士……貴方様のお言葉は、レティシア姫様のお言葉と等しく尊いものでございます」
 聖騎士隊の指揮官をつとめるのは、いつかメンディス王国軍の派遣時にも、ウィルフレス公国大公の腹心として働いていたセスタ・ルーラントその人であった。
「それで、我々に会わせたいとおっしゃるものとは……?」
 袖で顔を隠しながら、司祭は畏れるようにセスタへの問いを口にした。
「もちろんこの空中都市に住まう≪風の民≫ですよ」
 セスタはさらりと答えた。
 この巨大施設は、ウィルフレス公国の前身、神聖王国の支配者が暮らす城であった。
 神聖王国の解体時、百基以上はあったという空中都市はほとんど機能を停止させており、大半の有翼種たちは地上に降りるほかなかった。天使という呼称を捨てた彼らは、やがて「ウィルフレス人」として別の民族へと変化していくこととなる。
 だが、有翼の天使たちによる支配体制が瓦解することを、潔しとしない者たちがいた。
『島を統べた至高の天使である我々が、地上に降りることはできない。そんなことをすれば、体が穢れて死んでしまう』
 そんな思想のもとに、ごく少数の有翼種だけが空中都市に残留し島の支配者を自称し続けていた。地上との接触を絶ち、島の上空を周遊する彼らは、いつしか「風の民」と呼ばれるようになった。
 蛇足だが、風の民という呼称は「精神が風の精霊によってお空に連れて行かれていかれた(精霊島において、気が狂ったことを示す隠語)」という意味の蔑称だ。
 それにしてもこの行列は、いったいどこへ向かっているのか。
 一見すれば、実務的な任務を帯びているように見える。しかし、彼らの服装は、粉塵まみれの風景にはまるでそぐわないものだった。宮殿で身につける礼装のように儀礼的な意匠が施されている。
「我らウィルフレス人にとって、風の民はかつての主君の末裔といえるのでは…?」
 司祭の問いに、セスタはあろうことか舌打ちしてから、首を横に振った。
「たしかに、風の民はかつて、大天使と呼ばれるほどの力をもっていたのかもしれません。しかし彼奴らは狭い隔離施設に閉じこもったことで、生物としての根幹を成す生命力を失ってしまった。まったく、みじめなものです」
 セスタの長髪が、汗でべったりと額にはりついて周囲の気温の高さを物語っていた。
「ここです」
 ほどなく、彼らの眼前には巨大な両開きの扉が現れた。扉のそばには、十人近い騎士たちが控えている。やはり重たげな白い鎧を身に着けており、重厚な兜で顔までも覆っていた。その姿は表情さえ読めず、威圧的だ。
 そそりたつ壁のように立ちはだかる騎士隊は、セスタの姿を見ると一斉に扉へと通じる道を開ける。その列の間を、セスタは悠然と通り抜けた。
 扉が押し開けられる音は、ひどく耳障りだった。セスタに伴われた司祭たちが、青白い顔にさらに緊張を走らせ、揃ってごくりと喉を鳴らしている。騎士たちがその背中を、なかば押すようにして室内へと促した。よろめきそうな足取りで扉の内側に入った司祭たちをの背後で、扉が重々しい音を立てて閉まる。
「なぜ、こんな場所に我々を……?」
「彼奴らを閉じ込めておくには、ここが一番都合がよかったものですから。特別な祝福を受けた我々以外の者に、これを触れさせてはいけない。よくない風が憑いています」
 狼狽を隠しきれない司祭たち。セスタは、凍りついたような無表情で振り返った。
「文字通り精神を風に連れてゆかれた≪風の民≫の姿を見ても、本当に旧来の主君の再来と喜べるかどうか、確かめてみるといい」
 扉は二重構造になっていた。
 さらにその奥へと、セスタと司祭たちは歩を進めていく。奥の小部屋を監視しているのも、やはり白い鎧に身を包んだ聖騎士たちである。
「ここが……?」
 司祭たちは訝しげに声をあげた。
 そこは、小さな布の塊が並べられた殺風景な穴倉だった。数は多めに見積もっても百にも満たない。ほとんどは白い布にくるまれていた。
「これが、かつて私たちの主君だった天使様がたの、なれのはてです」
 セスタは辟易したように口にして、手近な塊を覆う布を剥がした。
「私たちと同じように、背に翼を持っているはずの住人たちが、誰ひとりとして姿を見せないのは一体いかなることか――最初は疑念を抱いていましたが、都市住人たちの姿を一目見て、納得せざるをえませんでした」
 セスタは機械的に説明を加えた。
「彼らの背中に生えていた翼はすっかり退化して、てのひらほどの大きさになっていましたよ。これでは空を飛ぶことはおろか、魔法を使えるわけもない」
 カプセルに入っていたのは、枯れ枝を組み合わせたような骨格に皮をはりつけただけの、やせ細った人型の生き物だった。骨格は歪み、背筋も丸くなり、足は折れ曲がっている。直立させたとしても、背丈はウィルフレス人の胸ほどにも届かないだろう。
「おお……」
 司祭たちは身を寄せ合い、大仰な祈りの文句を唱えた。
「おお。……精霊よ。われらを護りたまえ」
 かつて最上位の天使であった≪風の民≫こと空中都市の住人たちは、特に体格面で見る影なく衰えていた。長らく閉鎖的な、それもごく狭小な範囲で近親婚を繰り返したせいで個々の寿命は劇的に縮まり、種族としての存続もあやうくなった、というわけだ。
 ミイラを見せられた司祭たちは、かすかに体を震わせていた。それを見てとってのことか、セスタは突然、さらに酷薄な発言で追い討ちをかける。
「ここに入る前も申し上げたとおり。このやせ細った天使は、貴方がたの未来の姿ともなりえます。事前に清めの儀式を受けて、私たちはここに臨んでいますから何ともありませんがね」
 セスタの発言に反論しようとしたのだろうか、風の民の体が一瞬動いた。それを見てセスタは眉をひそめ、司祭たちはさらに硬く身をこわばらせる。
「あの者、今、私たちに何か魔法をかけようとしましたな」
「心を操る魔法でしたぞ」
「ご心配なく、もう都市の動力は弱まっています。彼らはほどなく呼吸もできなくなることでしょう」
 セスタは、カプセルの根元に転がっている機材や、千切れたチューブを指し示した。
「彼らに穢された風が、民に災いを広めたりせぬように、私たちは急いで準備を整えなくてはいけません」
 セスタの発言に、司祭たちはそろってうなずいた。
 廃墟同然の古代都市に閉じ込められて衰弱した旧世代の少数民族と、いまや島の一大勢力となった頑健な現代ウィルフレス人との間に、どうすれば関連などつくりだせるというのか。この発言を聞いただけでは、誰の耳にもまったく判然とはしないはずだ――
 しかし哀れになるほど、司祭たちは真剣だった。
「助かる道とは?」
「巫女様はなんと仰っているのですか?」
 司祭たちはセスタにすがるように、寄り集まる。
 これは預言を利用して、だらけた司祭たちに喝を入れるために作られた筋書き。長大で、よくできた茶番のひとつにすぎない。セスタは密かにせせら笑った。
 数日前に巫女、すなわち公国の姫君レティシアに、ある預言がもたらされていた。
『世界は滅びつつあります。創造神がこの大地にもたらした世界律が崩れようとしているのです。そして、世界は創造神が《創世》をなさる以前の、虚無の海へと再び飲み込まれてしまうことでしょう。
 風が弱まり、あるいは暴風となって吹き荒れる。これはこのウィルフレス公国、精霊島……いいえ、全世界規模の天変地異の前触れです。このまま、私たちが何もしなければこれから時代は、私たちが築き上げてきた進化を逆にたどり、創世前の混沌に飲み込まれるまで急速に退行してゆくことになります』
 ウィルフレス大公ダルシアはすぐさま、真相究明のために触れを出した。
 調査のために教会に所属する聖職者、騎士たちが各地に散った――風の止まった原因究明のために、竜騎士たちを精霊島各地に派遣したディザード帝国と、同じように。
 しかしダルシア大公は、異常気象から被る損害を軽微にするための対策よりも、自らが描く筋書き、ある種の思想統制に重きを置いていた。つまり各地に散らばる教会関係者をまとめあげる過程に、今回の一大事を組み込もうと画策していたのだ。
 セスタはそれを、当然の対応だと考えていた。
 姫の預言にあった≪創世前の混沌に飲み込まれる≫という一節。これは、生物学的にはかなり新しい種に属するウィルフレス公国人にとっては宇宙の終焉、すくなくとも生存の危機を意味する。
 だが、精霊島最古の土着種族である竜族、彼奴等はどうだ。精霊魔法文明の滅亡する地獄は、竜族とその眷属どもにとっては至上の楽園になりえる。竜族と一体化した竜言語文明を築いている竜騎士たちが、この機を逃すはずはない。今後の気象変動によって存続も危うくなりかねない精霊魔法文明を征服すべく、竜騎士どもは教会へも魔手を伸ばしてくることだろう――世界律の崩壊を早める手段を探すために。
 それはウィルフレス公国にとって、新たな敵の出現を意味していた。
 これまで教会は、《竜の朋友》たちとは表立った抗争を起こしたことがない。その理由は両者が旧時代に同じ歴史的基盤を共有していたからだと伝えられてきたが、それは違う。教会は竜族を大きな脅威とみなしてきた。
 そう、絶対的な支配を行い、個々の精神活動の自由すら奪っていた《原初の創造神》の世界律に真っ向から背き、変革を行った《旧き大地の聖女》を支え、結託できたという基盤。それが脅威の原点だ。
 あの時代、すべての生き物は例外なく精霊魔法文明に帰属しており、竜族との接点が持てないように創られていたはずではなかったか? すくなくとも、《創世》の時代には。
 それなのに、変革のたびに竜族は人類種の一部を自分たちの勢力圏に取り込み、すこしずつ勢力を拡大していった。
 教会は《竜の朋友》を、人類種とは異なる種族だと考えている。竜族によって精神構造までも《改造》された眷属。竜族と《竜の朋友》とのコンタクトは、決して《朋友》側の意思によるものではなかったはずだ。竜族にとっての人類はただの下等生物か、浅い歴史しかもたない新参者にすぎない。対等な、同盟関係を結ぶのは無理がある。
 同時期、神々は竜族を素地にして現在の精獣種のかたちに改変し、脅威を取り去ろうとしていたが、その試みはうまくいかなかった。竜族は、自分たちの思い通りになる生物を創造・改変する技術を体得し――ひょっとしたらもう、神々がおこなった《創世》と同じ、あるいはもっと高度な技術を保有しているかもしれない。
 《竜の朋友》たちが受けた介入は、単なる基礎実験にすぎない。さらなる勢力拡大を目指す竜族が次の標的を定めるとしたら、より神々に近い精神構造を持つ、ウィルフレス系人種ではないだろうか。
「貴方がたの魔法の力が弱まりはじめたのは、災厄の余波によるものに違いありません」
「それも、巫女様の……レティシア姫のお告げだったというのですか?」
 怯えながら問う司祭に、セスタは厳粛にうなずいた。
 司祭たちを都合よく動く駒に仕立て上げんとする筋書きのなかで、ただひとつ。公国の頂点に君臨する大公家の姫レティシア・サリスディーンが世界律の崩壊を預言したことだけは、まぎれもない事実だった。
「では≪太古の天使≫に先祖がえりした異端者の異能が活発化したのも……?」
 司祭たちは、ただ真摯に問うばかり。
「さよう。神聖帝国が台頭するよりも以前の原始の時代に世界を統べていたころの、古く忘れ去られていた原始的な世界律のあった時代に、この島が逆戻りしつつある証拠なのです」
 セスタは再び、皮肉めいた笑みを口元に浮かべていた。ここからは、預言者レティシアの意思を無視した、虚構に満ちた弁舌をひけらかし続けなくてはならない。
「魔法の力が失われる……そんな」
 あいかわらず、司祭たちは大真面目な顔をして、セスタの姿を食い入るように見つめていた。セスタの小さな身振り手振りにまでぶるぶると震えたり、血の気を失せさせたりするばかりの司祭たち。肝心の、セスタの顔つきの変化には全く気が付かないようだ。
「大丈夫。そう怯える必要はありませんとも」
 空中都市が墜落する決定打が何だったのかは定かではないが、風の民の技術力では、岩盤内部の機関部を整備することもできなかったのかもしれない。加えて、住人たちの多くがカプセル状のシェルターの内部で常に過ごしていたために、逃げる手段も絶たれ墜落の衝撃で命を落としたことは疑いなかった。セスタが司祭たちに見せたミイラも、いまだに苦悶の表情を浮かべていた。
 セスタは静かに、カプセルに手をかけた。
「風の民は、ひょっとしたら外へ出て、ウィルフレスの国中に、自分に憑いた穢れた風を運ぶかもしれなかった。しかし現実には、墜落の時点で誰も生存していなかった」
 そのまま床へ倒すと、カプセルは簡単に割れてしまい、中から培養液のようなどろどろしたものが吹き出てきてしまった。
「この僥倖は、聖女の加護と呼ぶよりほかない。ここから、穢れた風が地上を侵すことはなくなったのですからね。この都市の墜落は、私たちの国を守る精霊の御力によって、こやつらが穢した風が退けられたという証でもあります」
 司祭たちの顔が、わずかに上気した。
 それを見て、セスタは満足そうに微笑んだ。
「しかし、聖女の加護にばかり頼ってはいけません。努力を惜しむものに、世界律はいかなる恩賞も与えることはないのですから。わかりますね……私たちが世界律を守る義務を怠ったとき、この世は混沌へと帰してしまう。姫の預言は、私たちに今こそ聖戦を起こすべきだと、告げているのです」
 彼らが信奉する聖書の一節は、いまや大きく曲解されたかたちでウィルフレス全土に流布されようとしていた。
「残りの空中都市を墜とせば、風の民による脅威はなくなる。私たちが護り導いてきた民を惑わし、古い世界を再現しようとする敵がひとつ消えうせるのです。
 このあと、私たちがこれから何をなすべきか……もう、おわかりですね」
「セスタ様。つまり、それは……残る空中都市を、落とすということですね」
 セスタはうなずいた。
「私たちには、かつてウィルフレスに存在した、いかなる教導者をも凌ぐ多大な功績をあげる力がある。神聖王国も、いわんや、往年の≪静謐騎士団≫も凌ぐ力が」
 まだどこかで、消えやらぬ炎がくすぶっているのだろうか。司祭たちの顔は紅潮し、室内は異様な熱気で満たされていた。
「私たちには多くの使命があります。ウィルフレスの教会が定めた世界律に背いてこの世に生まれた≪太古の天使≫たちを、現代人として帰化させてやらなければ。
 そして元は教会の信徒でありながら、道を見誤り精霊信仰を侮辱している哀れなメンディス魔導学会の奴隷たちを再び教化せねばなりません。そして≪聖女≫が行った偉大な改革の意義を忘れ、竜族に取り込まれてしまった蛮族、ディザード人を導くこともできるでしょう」

 事故の前日までに稼動が確認されていた空中都市は、七基。この一基の墜落によって、残り六基となった。
 すべての遺体は無造作に白い布にくるまれて、首都ラングリア近郊の墓地へと、秘密裏に運ばれることになった。――そう、以前メンディス王国軍が派遣されてきたとき、死亡した姫君の遺体を誰にも検分させなかった、あのときと同じように、である。
 生存者はゼロ。岩盤の落下から、遺体の搬出までの間に、古都の残骸の内部でいったい何が行われたのか――

 それは、のちの記録には何も残っていない。