思慕の鏡像【第三段-1】

「リオンが、ルサリスにとって固有の≪導き手≫ではない可能性が高いって言ってる魔導師が、第四師団には何人もいたんだ。ずっとまえからね」  わずかな沈黙だけをはさんで、バスターは唐突に話し始めた。
「隠してたのか」
リオンの問いに、バスターは首を横に振った。
「それは何かの間違いだろうと思ったから、僕自身が相手にしていなかったんだ。僕だって以前は彼らの主張を撤回させるべきだと考えていた。――でも」
「撤回しないほうがいいと判断する理由ができたんだな」
バスターはうなずいた。
「模造種を含めて数百体。原種の≪導き手≫になりえる人物の追跡調査を含めて、記憶・感情野の共有に関する≪回路≫について、僕たちは徹底的に調べあげた」
「そんなこと、可能なの?」
さっそくロウルがいちゃもんをつけたが、バスターは、動じた様子も見せなかった。
「≪天使≫との交配は、導き手本人が生まれる前、もっと以前から綿密な計画をたてて行われる。何もないところから、指先ひとつで術をかけただけでできるものじゃないのだから、必ずどこかに特定の施術の痕跡や、変異の兆候がみられる。少々特殊なかたちではあるけれど、生物の発生であることにはかわりない」
バスターはよどみなく話し始めた。
「僕たちは≪太古の天使≫がどうやったら生まれるのかを明確にするために、いくつかの条件を設定して、天使の細胞を複製し培養を試みた。
誤解を招かないように付け加えると、培養したのは皮膚の細胞であって、人型生物を作れるような卵細胞じゃないからね。培養がどんなにうまくいっても、皮膚一枚が、つめの先くらいの大きさにできあがるだけ」
誰も何も言わなかった。
一息つこうと、バスターが唾を飲んで喉を鳴らした音だけが響いた。
「結論から言うと、培養が失敗したのは、≪回路≫を抜いた状態のものだけだった。
≪太古の天使≫の細胞ひとつひとつは、とても脆い。原種では特に、生命活動にも関わるくらい致命的な、脳の機能不全が起こりやすい。その脆弱性を≪回路≫にアシストさせることで、≪天使≫たちは生存能力を獲得しているんだ」
「アシスト…させる?」
アーヌが怪訝そうに眉をひそめた。
「天使の生理反応は、外部から何らかの作用が加えられてはじめて成立しているというコト?」
「そうだよ。生きている天使から≪回路≫を切除しても同じだ。すぐ死んでしまう」
バスターは軽蔑しきったようにリオンを見つめた。
「≪天使≫の原種は同族同士、どんなに物理的に接点を絶っておいても、お互いの身に起きたことを絶対に知ってる。特定のタイミングで、種族全体のもってる情報に個々が同期するようなことさえしている」
「そんなことが、独立した生物の、それも人間サイズの小さな脳だけでできるわけがないと?」
アーヌが言うと、バスターは大きく、何度も頷いた。
「そのとおり。
ましてや、≪天使≫たちが操る、多数の人間の精神を操ったり取り込んだり、同族の状況や思考までも共有する≪権能≫を発現させるには、どれほどの容量が必要なものか、想像がつくかい?」
嫌味な口調だった。
先ほどまでとは、打って変った態度で弁舌をひけらかすバスター。ロウルが、苛立った様子で踵を乱暴に踏み鳴らしているが、バスターは歯牙にもかけない。
「その『容量』に関する疑問こそが、僕たち第四師団にとっての、≪天使≫研究の起点だった。
僕たちは、天使たちが種族単位で共有している精神構造と、その≪権能≫の制御下にある、あらゆる知的生物の精神構造を含む巨大なマップの存在を仮定した。そして、それを仮に意識の≪集合体≫と名づけることにした。この場合、天使たちの個々の肉体は、≪集合体≫によって制御されている駆動体ということになるね。
制御装置とも呼べる≪集合体≫の基幹部にアクセスする機能にこそ、天使の体に≪回路≫が形成されたほんとうの目的があるはずだと、僕たちは考えている。
≪回路≫から生命活動に必要な機構だけを都合よく抜き取って、ルサリスの体に代替機能を付加するなんて、できるわけがない」
「それには≪回路≫そのものを複製するしか方法がない――そう思っているのか?」
リオンが面白くもなさそうに笑った。
第七師団が、ルサリスを保護した後にずっと継続してきた研究事業の成果がすべて、破棄されるべき誤った仮定にもとづいている、とバスターは発言したのだ。
「ボク、よくわからない。その≪集合体≫というのはいったい、どんな論理で動いているものだっていうの?」
言い添えながら、アーヌが首をかしげた。
「まさか、神の思し召しなんて言わないよネ」
「それだけはないから、安心して。そのシステムというのは――物理的に、それこそ、機械か何かにおさめられて、どこかに格納されているはずなんだ」
今度はロウルが首をかしげる。
「じゃあ、その『どこか』って? どこにあるのよぉ?」
「それは君たち人類種の認知構造では簡単に知覚できない場所にある」
明らかに相手を見下した口調で、バスターは言い捨てた。
「ふざけてる」
「ほんと、聞く価値が感じられなくなってきたわ」
苛立ちのあまり、アーヌとロウルが、示し合わせたかのように、踵を返す。
「ま、待って! ちゃんと説明するから!」
バスターは、またしても血相を変えて二人を制止する。
「人類種の認知構造の話は、今は、本題ではないだろ?」
仕方がなさそうに、リオンがバスターの側に立って発言すると、場がようやく静まった。
「それより、≪天使≫にとって≪回路≫が、生存に必須といえるほど重要な理由を、もうすこし詳しく説明してくれ」
バスターは、しばし黙してから、全員の視線が自分に集まるのを待ち、冗長な説明を再開した。
「単体では脆弱で壊れやすい≪天使≫の細胞ではあるけれども、それは必ずしも欠陥や劣等性を意味するわけじゃない。彼女たちの細胞の形質はとても複雑で、精密機械の制御装置に近いんだ。その特殊な形質によって、≪回路≫から発生する信号がスムーズに≪天使≫とその導き手にいきわたることで、≪集合体≫への相互作用は成立している。
それから、どうしてこの作用に、≪導き手≫なる存在が関わる必要があるのか……この機構のことを話すためには、まず僕たちの提唱している創世論の主旨を、説明しなくてはいけないんだけど…」
「お得意の≪機構論≫か? 聞き飽きたぞ」
講釈は長引きそうだ。
苛立ちが連鎖し、今度はフィックスが不機嫌そうに声を荒げた。
この世界には、多種多様な物理的・生物学的な規則が存在するが、ウィルフレス教会が、それらに学術的なアプローチをした記録はない。
それどころか、教会の聖典は、世界を支配している種々の法則に、恣意的に≪神々≫などという呼称を与えて擬人化する愚行に至った。そして、教会内部で創作した伝承を流布し、人々を思考停止させた。
この蛮行こそが、精霊島の人間を真理から遠ざけ続けてきた、諸悪の根源である。――それ自体はメンディス王国においてはポピュラーな教会批判思想だ。
だがその一方で、魔導師たちがこの世界のはじまりを説明した学説は悲しいかな、いまだ諸説紛々としているのが現状だった。それでも、比較的多数の魔導師が信憑性が高いとして注目しているのが、バスターの言った≪集合体≫に類する機械的な制御装置の存在だ。
彼らは聖典に記された、原初の創造神や大地の聖女にあたる存在、様々な物理法則を、機械的な存在によって制御された一種のプログラムだと考えている。が、それもまだ確証を得ているとはとても言いがたい、多数の推論を含んだ段階にある。
「目にも見えず、どこにあるとも知れぬ機構への極端な信奉。今のままでは教会が愚民に与えた偶像とまったく変わらん。都合の良い幻像に、機械の呼称を与えただけだと笑われるのが関の山だ」
フィックスが吐き捨てるように言った。
「全然違うよ、≪集合体≫にアクセスする方法は、もうすぐ明らかになるんだ。
『かみさまはどこかわからないところへ旅にでてしまいました』なんて絵本に書きなぐってるような、低俗な教会司祭の思考停止状態とは違うんだよ」
バスターは、躍起になってわめいた。
「≪ディアーナ≫なんてメじゃない、全世界のあらゆる拠点を繋ぐネットワークを構築することも、ううん、全世界のあらゆるものを自由自在に操作する存在を創造することだって可能になるかもしれないんだから。ねえアーヌ、技術開発者の君なら、絶対興味があるよね!」
「ボクを巻き込まないで……」
アーヌは顔をしかめた。
「たしかに、誰も神々の姿を見た者はいない。それでも明らかに世界のしくみをまるごとひっくり返すほどの変革をもたらす力が、存在していることには違いないんだ」
バスターは、訥々と解説をはじめた。
「世界のはじまりにあたる、ごく初期の創世は不完全なものだった。≪創世≫以前からの土着種族である竜を除けばとても原始的な、あるいは脆い生物しかいない状態から開始された。
そこにいきなり、人間のような知的生物が突然『発生』して、繁殖を開始できたっていうのは、一体どういうことだろう?
創造主がおこなったという≪創世≫後に生まれたいきものと、≪創世≫に起源をもたない竜族や僕たち竜人族とでは、一体何が違うんだろう。
すくなくとも僕らが遺伝子改変技術を進化させて、≪創世≫以前から続く竜族の形態から分化できるまでに――君たち人類種と、直接コンタクトできるようになるまでには千年以上もかかった」
誰も口をはさまなかった。
「教会の言う≪創世≫は、厳密には、この世界の始まりを示すものではない。この世界には、≪創世≫の時点で、すでに別の生物がいたと、竜族の存在によって示唆されてる。
≪創世≫よりも以前に、すでに生物が生存するのにふさわしい条件がととのった、たっぷりの大気に包まれた生育環境は、成立してたんだよ。≪制御機構≫は、この世界の生態系に介入して強引な再構築をおこない、都合の良い仕組みの生物をひとつひとつ合成して生態系を乗っ取ったんだ」
「なんのために?」
アーヌが問うと、バスターは困ったように肩をすぼめた。
「ヒマをもてあました神々の遊び、ってやつじゃないかな。
教会の伝承における、創造神…僕ら流に言うと、≪原初の精霊島を構築していた制御機構≫が造った生物は、この世界で自然発生したものではなかった。それらは、まるで実験室のように整えられた環境でしか、生存することもできなかった。
だから≪創世≫の黎明期には、すべての知的生物に対して、個体ひとつひとつの動作までも制御するほど緻密な監視体制をしかなければ、強引に入植させられた生物はすぐ死滅してしまっていた」
「そんなお粗末なものが、我々の祖先だというのか」
再びフィックスが、遮るように言った。
「気持ちは、よくわかるよ」
バスターは辛抱強く頷き、身も蓋もない感想につきあった。
「だが、そのお粗末な生き物を、なんとしても生存させようと、その≪制御機構≫とやらはお膳立てを整えようとしたわけだな」
リオンが付け足した。
「そのお膳立ての結果できあがったのが、さっきから言ってる≪回路≫ってわけ?」
さっさと話を咀嚼して、ロウルが先を促す。バスターは、慌ただしく頷いた。
「個々の生物の制御や監視・保護を実現する≪回路≫が発動してしまうと、原初の制御機構には多大な負荷がかかった。その労力を分散して負担するために作成されたのが、太古の≪天使≫だ。
空からあらゆる生物の動作を監視する役目を帯びた存在…
その素地には、優れた知性を持つ人類種が選ばれた。なぜ『人類種の脳機能を搭載した何か』ではなく、手足のような末端まで人類種とそっくりにしたのか、その理由はわからないけど…」
バスターは少しだけ間をおき、付け足した。
「≪天使≫の創造は、現代の人類種を作る、足掛かりとしての意味合いもあったのかな、と僕は思う。彼女たちの体に、うまいこと人類種の女性の子宮にあたる器官を定着させられれば、その後に行う、生物の交配実験の基礎も固めることができただろうから。
もっとも、≪天使≫自体が繁殖行為、あるいは交配を前提として作られたかどうかは、わからないけど」
この無神経な発言に対しては、なぜか誰も何の痛痒も示さなかった。
「彼女たちの体には、多くの生物から選別された、優れた形質が組み込まれた」
バスターは一度だけ、嬉しそうに天井を見上げた。
「太古の≪天使≫たちがもつ≪権能≫をはじめとするポテンシャルは現在も、島の標準的な生物を大きく凌駕する。それは、彼女たちが人類種を含めた、知的生物の個体数を管理するような、絶対的な制御機構の一部として君臨していたからなんだ。
必要とあらば、秩序に反した生物を洗脳して完全な制御下におき、ときには瞬時に消滅させる能力が、彼女たちには備わっている」
「天使の≪始祖≫どもが活性化したら、お前たち竜人族と竜族が真っ先に島から抹殺されるわけだな」
何の遠慮もなくリオンが指摘すると、
「たぶんね」
それに対しても、やはり微笑みながらバスターがうなずいた。
「ルサリスになら殺されてもいい」
「都合よく、お前のもとにルサリスが現れるかどうかは疑わしいがな」
フィックスが、白けた様子でバスターの空想を遮った。